この年表は「西原今昔物語」から引用しました。
なお、時代区分表示は「日本史年表・地図」(児玉幸多編・吉川弘文館 平成14年4月1日発行)を参照しています。
オレンジ色の文字をクリックすると詳しくご覧いただけます。
平安時代:
「西原」の名前が文献に見られるようになりました。
延暦13年(794年) 平安時代
全国:平安京に遷都。
930年頃
安芸郡幡良郷(はらごう)(現在の西原、東原、中筋等)の名がみえる(倭名抄)。
仁安元年(1166年)
佐東郡伊福郷掘立(いおきごうほたて)(現在の祇園)に志道原(しじわら)荘園の倉敷を設ける。
承安元年(1171年)
佐東郡桑原郷(現在の長束と山本)に山県郡壬生荘の倉敷地を設ける。
武田氏から毛利氏まで:
承久3年(1221年)
甲斐の国の武田信光、安芸国の守護職となる。
貞応年間(1230年)
武田信宗が武田山に銀山城を築く。
建武元年(1334年)
全国:建武の中興。
1392年
全国:南北朝の統一
応永5年(1398年)
西原に明福寺建立。
応永7年(1400年)
武田山のふもと青原から楊柳観音が西原の現在地に移る。
天文10年(1541年)
毛利元就、武田信実を滅ぼし銀山城落城。武田氏11代で滅亡。
天正元年(1573年)
全国:室町幕府滅びる。
天正19年(1591年)
毛利輝元、広島城入城(112万石)。
慶長5年(1600年)
毛利輝元、防長2国に転封される。
福島氏から浅野氏まで:
慶長6年(1601年)
福島正則700人の藩士と共に清州から海路広島に入城(49万8千石)(3月)。
慶長8年(1603年)
全国:江戸幕府開く。
慶長12年(1607年)
大洪水により太田川の本流が、古川筋から現在の川筋に変わる。
元和5年(1619年)
福島氏は改易となり、津軽藩に移封(4万5千石)(6月2日)。
福島氏は越後信濃へ変更(7月22日)。
浅野長晟、安芸・備後42万6千石を与えられ、広島城に入城(8月8日)。
寛永8年(1631年)
大水害による被害甚大、太田川の渡し舟不能(8月14日)。
寛永10年(1633年)
雲石街道の改修。
寛永13年(1636年)
東原に瑞穂神社創建。
正保元年(1644年)
西原の観音堂の敷地内に冬木神社創建。
寛文4年(1664年)
郡名を佐東郡から沼田郡に改名。
享保5年(1720年)
さつまいもの栽培始まる。脱穀に千歯が使用され生産性が向上。
享保17年(1732年)
全国:享保の大飢饉。冷害により稲が育たず、害虫も大量発生。
沼田郡内にもうんかが大発生し、大凶作のため餓死者多数。
明和5年(1768年)
桑原卯之助により八木用水が完成。西原の田畑がうるおい、農業生産が向上。
天明2年(1782年)~天明8年(1788年)
全国:天明の大飢饉
天明3年(1783年)
気候不順のため凶作。餓死者、飢えた人多数(11月)。
天明4年(1784年)
日照り続きで田植え不能のところ多し。疫病が流行る(6月)。
口伝では天明の飢饉や疫病の流行により、冬木神社に神楽を奉納したという。
文政8年(1825年)
広島県内:頼 杏坪(らい きょうへい)が『芸藩通志』を編慕。
明治維新から終戦まで:
明治元年(1868年)
全国:明治維新
明治2年(1869年)
郡の代官所を県令所と改称。士鹿工商の身分制度の廃止。
明治5年(1872年)
全国:庄屋制度を廃止し戸長制を実施。
全国:太陽暦の採用。明治5年(1872年)12月3日を明治6年(1873年)1月1日とした。
明治6年(1873年)
研精舎創立は明治8年(1875年)の説がある。
東原に開進舎創立。
明治8年(1875年)
広島県:県下に断髮令発令。
西原、東原にそれぞれ西原尋常小学校、東原尋常小学校創設。
明治18年(1885年)
祇園の旧国道の改修工事。横川〜大林間5里32町51間(約23㎞)が幅3間(約5.5㎞)になる。
明治20年(1887年)
沼田高等小学校(高等科)創立(4月1日)。
明治31年(1898年)
沼田郡、高宮郡が合併し安佐郡となる(10月1日)。
明治36年(1903年)
我が国最初の乗合自動車(定員12名)が横川〜可部間を運行(2月5日)。その後10か月で廃業。
明治40年(1907年)
この夏頃、祇園地区に自転車が現われる。
明治42年(1909年)
軽便鉄道が三篠〜祇園間に開通(12月19日)。
なお、三篠〜可部間は明治44年(1911年)6月に開通。
大正元年(1912年)
祇園と長束に電灯が灯る。
大正4年(1915年)
原と山本に電灯が灯る。
大正9年(1920年)
東原村と西原村が合併し、原村となる(4月1日)。
東原小学校と西原小学校が合併し、原小学校となる(8月1日)。
第1回国勢調査実施。日本の総人口 7698万8379人(内、内地人口 5596万3053人)(10月1日)
大正12年(1923年)
原信用販売購買利用組合創立(3月)。
大正13年(1924年)
沼田髙等小学校廃校(3月)。
大正14年(1925年)
祇園髙等女学校(現大下学園)創立。
大正15年(1926年)
小学校に青年訓練所を創立(4月)。
昭和2年(1927年)
初めて祇園に電話交換始まる(12月)。
昭和3年(1928年)
安川が氾濫して堤防が決壊(6月)。
NHK原放送所開設(7月)。
可部線の横川〜古市間で電車の運転開始(11/9)。
昭和5年(1930年)
横川〜可部間の電車開通(1/1)。(昭和11年国鉄が買収し可部線と改称)。
昭和6年(1931年)
大下上水道給水開始(祇園町と原村の一部)。
昭和8年(1933年)
旧原村役場が解体移転。
昭和9年(1934年)
太田川改修工事始まる。
昭和10年(1935年)
青年訓練所を廃し、義務制の青年学校と改称。(昭和22年(1947年)、沼田青年学校廃校)
昭和15年(1940年)
県下一斉に町内会が結成される(1月)。組合立沼田青年学校創立。
昭和16年(1941年)
安神社前から東原までの道が県道となる。小学校を国民学校と改称。
昭和18年(1943年)
原、祇園、長束、山本の各組合が合併して祇園信用組合となる。
安川の大氾濫(9月)。
原村、祇園町、長束村、山本村1町3村は合併して祇園町となる(11月3日)。
昭和20年(1945年)
西原NHK放送所付近に米軍機が爆弾投下(4月)。
広島市に原爆投下、多数の町民が死傷した(8月6日)。
太平洋戦争終戦(8月15日)。
枕崎台風のため風水害甚大(9月)。
終戦から平成まで:
昭和22年(1947年)
祇園中学校創立。沼田青年学校廃校(4月1日)。
国民学校を小学校と改称(4月1日)。
昭和23年(1948年)
各学校にPTA発足。
学校給食始まる。
祇園町農業協同組合発足(7月26日)。
昭和25年(1950年)
キジャ台風、被害甚大(9月)。
プロ野球広島カープ球団誕生。
昭和26年(1951年)
ルース台風、被害甚大(10月14日)
昭和27年(1952年)
西原に祇園法輪幼稚園、東原に光輪幼稚画開園(4月1日)。
祇園町教育委員会発足(11月1日)。
安芸大橋開通(11月2日)。
昭和28年(1953年)
全国:NHKテレビ放送開始(2月1日)。
なお、広島でのテレビ放映は、昭和31年(1956年)3月から。
昭和30年(1955年)
安川の放水路が完成し古川と合流(3月)。
安川が廃川となる。
昭和34年(1959年)
原小学校、現在地に移転新築。
昭和35年(1960年)
祇園町役場新庁舍の落成(3月)。
新国道54号線、祇園町内分が完成。
昭和36年(1961年)
東原にバス開通。
昭和37年(1962年)
東原の一部に、広島市の上水道給水開始。
西原胡子神社再建落成。
昭和38年(1963年)
西原の一部に、広島市の上水道給水開始。
祇園大橋竣工。
昭和40年(1965年)
太田川放水路完成。大芝水門と祇園水門が操作開始。
祇園幼稚園開園。
昭和43年(1968年)
明治100年に当り、祇園町誌編纂始まる(昭和45年(1970年)7月発刊)。
昭和46年(1971年)
祇園東中学校開校。
西原に祇園公民館開設(5月22日)。
昭和47年(1972年)
祇園町と広島市が合併。
広島市原保育園が現在地(西原3丁目9-19)に開園(5月1日)。
昭和48年(1973年)
古川に大正橋が開通(1月)
大型郊外型ショッピングセンタ一(イズミ)開業(3月27日)
昭和49年(1974年)
西原上十二神祇神楽、広島市重要無形文化財に指定される(8月12日)。
昭和51年(1976年)
原南小学校開校。
昭和54年(1979年)
古川に古川橋が開通(6月)。
昭和55年(1980年)
広島市が全国で10番目の政令指定都市となる。
平成5年(1993年)
広島県内:山陽自動車道が広島県内全通。新広島空港が開港。
祇園町農協が広島市農協へ合併(4月1日)。
古川に平成橋が開通(12月)。
平成6年(1994年)
広島県内:第12回アジア競技大会、広島で開催。
祇園新道全区間開通(5月)。
アストラムライン開業(8月)。
平成13年(2001年)
西原2丁目祇園新道下の不発弾を処理。半径300 m内の住民に避難命令が出た。
安芸灘地震(3月)、広島では戦後最大級の地震。
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