西原中町内会の区域内にある、「ゆめタウン祇園」は、昭和48年(1973年)の開業以来、地域の皆さんにとても親しまれてきているお店の一つです。
本稿は、「ゆめタウン祇園」を運営する株式会社イズミのホームページ、中国新聞、ウィキペディア等の記事をもとに作成しました。
「ゆめタウン祇園」の写真は、こちらをご覧ください。
昭和48年(1973年)3月: いづみ祇園店のオープン
中国地方では初、全国的にもまだ珍しい「郊外型大規模店」いづみ祇園ショッピングセンターが誕生。500台も停められる無料駐車場を備えていました。開店当日は、押し寄せるお客さまに、付近が大渋滞してしまうほどの賑わいでした。
実は祇園店の建設時、当時代流行していたボウリング場を併設すべく工事が進んでいましたが、急遽とりやめています。アメリカへ視察にいっていた創業者が、当地のボウリングブームが既に去っていることを見てとり、国際電話で「アメリカの動きは日本にも波及する。ボウリングブームのピークは過ぎた」と言って、急遽屋上に立てる予定だった、ボウリングのピンを「塔」に変更させたのです。多額の違約金も支払ったこの英断の真価は、その年内に顕著となった「ブームの収束」で証明されました。
いづみ祇園店の当初の建物デザインと、実際に完成した建物。塔の上がボウリングのピンから屋根型に変わっている。
出典:「イズミの歴史/イズミ創業60周年」ホームページ
1975年3月7日増床オープン当時: 開店当時の広告によるもの。
ファミリーランド
1階 - 駐車場
2階 - 食品のフロア(総合食品売場・食堂街など)
3階 - 紳士と婦人のフロア(紳士服・婦人服など)
4階 - お子さまと実用衣料のフロア(子供服・下着など)
リビングランド
1階 - 日用雑貨とおしゃれのフロア(レジャー用品・化粧品・カー用品など)
2階 - 暮らしのフロア(電気小物・住宅設備・インテリアなど)
3階 - 住まいのフロア(食堂家具・居間家具)
4階 - ヤマハ音楽教室・ゲームコーナー・事務所
屋上 - 屋上遊園地
令和2年(2020年):
この年の初めから深刻化したコロナウィルス感染の影響のため、「安火曜市」が中止になる。
百歳体操など地域の人々が集まる場所も極端に少なくなった。
このため、西原中町内会では、地域の皆さんが集まってちょっと話をする場所を提供するため、6月から「西原にんじん通りウォーキング」を始めた。
令和2年(2020年)11月: ゆめタウン祇園の建て替えが発表される
地場流通大手イズミ(広島市東区)は11月24日、大型商業施設のゆめタウン祇園(安佐南区西原)を建て替えると発表した。中国地方初の郊外型大規模店としての開店から47年がたち、老朽化が進んでいた。2022年以降に新しい業態の店としてオープンさせる。
出典:中国新聞
町内のみなさんの思い出:
ゆめタウン祇園「お客さまの声」掲示板に掲載された投稿:
昭和48年(1973年)3月の開業の時小学生で、母親とオープンに並びました。アドバルーンが上がっていました。
それ以来、毎日のように買い物をさせていただいています。建て替えはとても寂しく思います。リビング館はすでにないですが、イズミ祇園店はこの地域の皆様に長年とても愛されているコミュニティであり、生活の一部だと思います。ぜひ、建て替えても、今まで同様に質の高い、楽しい場面を作れるような店舗にしてほしいです。テナントがなくなるのも残念です。衣類も生活用品、100円ショップもなくなると困りますが。よろしくお願いします。
店長のご返事:
長い間、当店をご利用いただき、ありがとうございます。建て替え後も長い間、皆様にご利用いただけるよう計画してまいります。
アンガールズの山根さんのコメント:
ちょっと前にゆめタウン祇園店(ワシの中でまだイズミが抜けんのんじゃけど)の入り口んとこで写真撮ってインスタに挙げたんじゃけど、えらい反響があったんよ。ワシん中じゃ懐かしい思い出が詰まっとるんじゃけど、他の人からしたら何気ない一枚じゃろう思うとったら、私も行っとったよとか、懐かしいじゃのコメントも100件以上、いいねも3000以上の反響じゃったけぇ、びびったよ。ほんまに広島の人らの愛情には感謝じゃね。
町内の皆さんの思い出:
ゆめタウンのゲームセンターが懐かしいです❗️
昔はミスドとか、サーティワンとか、ロッテリアもありましたよね⁉️
大学時代は、ちょいちょいフードコートで食べてました。
大学のサークルで、「今日はイズミが5倍デーなので、早く帰りたい❗️」って言ったら、先輩に怒られました…。
大学生1人暮らしには、ポイントも大事なのに(笑)
開店当時は今で言う、大きなショッピングモールが郊外に出来て凄い賑わいでした。
男友達と飯を食べたりしてましたね。
私の高齢の両親は、今でもゆめタウンではなく、イズミって言ってますが。
イズミと言うのは何歳以上の人か気になりますね(笑)
私はいまだにイズミです。
ちなみにエディオンは、まだデオデオです。
振り返ってみると、ショッピングモールの先駆けでしたね。
ゆめタウンの建設当時から見ているので、ゆめタウンにはより一層の関心がありました。
リビング館の4階のゲームセンターが懐かしいです。
同じくリビング館の靴屋さん。よく利用させてもらいました。
ファミリー館とリビング館をつなぐ渡り廊下に、よく児童の絵や俳句などが展示されていました。
渡り廊下、楽しかったです。
昔、週に1回、100円でケーキバイキングをしていたこと!その日が楽しみでたまらなかったです。
毎年、初売りの日は、入口の前に並んで、干支の湯飲みをもらいました。
赤と青の湯飲みがあって、最初は選べなかったのですが、選べるようになってからは、毎年、赤と青の湯飲みをいただきました。
20年近く集めました。
私の宝物です。
祇園のイズミ、ゆめタウンは、知らない人はいないお店で、みなさん思いで話しが尽きないですね。
もう定年で辞められましたが、誰にでも笑顔で気持ちよくあいさつしてくれる店員さんがいました。
お店の常連さんであれば「あーあの人じゃね」とわかるのではないかと思うくらい感じのいい人でした。
その人にもこのホームページを見てもらいたいなあ・・・
ファミリー館によく行きました。お店の人が親切で、商品を取り寄せてもらったりもしていました。
お店に行くと、知り合いにちょくちょく会うので、楽しかったです。
開店してしばらくして、コロッケさんが来られて、ちあきなおみさんのものまねを披露してくれました。まだコロッケさんが無名だったころだったから、来てくださったのでしょうね。
何年か前の盆踊りの時に、イズミの山西社長さんが来られて挨拶をされたことがありました。その頃はゆめタウンもすっかり古くなっていて、なんでこんな古いお店にわざわざ社長さんが来られるんだろう、って思いました。
干支の湯飲みを毎年もらいに行き、12個集めました。これで一通りそろったのでもういいかなと思っていたら、その後、孫も集めたいと言いだし、またお正月にお店の前に並びました。
イズミがオープンした時から、ほとんど毎日買い物に行きました。服や下着などを売っていたのでとても重宝しました。
盆踊りの時にじゃんけん大会があって、いつのまにか勝ち進んで、ステージの上に上がらされ、さらに勝ってしまい、とうとう一等賞になってしまいました。商品をもらってうれしかった思い出があります。
イズミがオープンした時、中学校3年生で、高校に合格した直後でしたので、オープンの時はとても鮮明に覚えています。家族で買い物に行きました。
オープンしてからしばらくは、毎週日曜日はとても車が渋滞したのを覚えています。
リビング館の屋上にはイベント広場があって、ヒーローとかのイベントがありました。4階にゲームコーナーがあって、子どもを連れてよく行きました。
高校時代、イズミのテナントでアルバイトをしていました。その頃はファミリー館の1階にミスドがありましたが、今ほど有名ではなかったように思います。当時イズミにはたくさんのお店が入っていて、ラーメン屋さんや果物屋さんなどもありました。
ぜひゆめタウンの社長さんにも見ていただきたいですね。こんなに地元の人から愛されている店ですよ~って。
令和3年(2021年)12月
店舗建て替えのため、仮設店舗での営業開始。
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